Analisis Kohesi dan Koherensi Dalam Puisi Bahasa Jepang (Kajian Pragmatik)

Dewi, Susanti ( 0242010 ) (2008) Analisis Kohesi dan Koherensi Dalam Puisi Bahasa Jepang (Kajian Pragmatik). Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.

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Abstract

I. 序論 詩はテクストの一種類である。なぜかといと中にはまとまった意味 をもっているからである。ある詩を解釈するために、その結束性と一貫性 の分析によって解釈することができる。 3 人の子供 遠慮がちな足の遅びで サレンバにやって来た その夕方 「これ、私達から、 花輪に黒いリボン 私達弔いたい 今日の昼射殺されたお兄さんのために」 上記の詩の断片はイスマイル・タウフィクが書いた「虐政」という 詩である。その詩には射殺された兄や姉の宿命に同情する子供達の心情が 伝わっている。 詩は句間、節間においての関係において、ある意味を言示的に表す のである。その意味は詩に結束性と一貫性があるために取ることができる のである。上記の詩にも結束性(関わっている要素の調和)と一貫性(文 の中にある意味の調和)が見られる。第1行、第2 行、第3 行と第4 行の 関係には結束性はないが、一貫性がある。結束性がないのはその4 行にお いては要素の調和がないためである。「遠慮がちよ足の遅び」、「サレン バにやって来た」という文はお互いに関係がない句節である。しかし、 「3人の子供が夕方にサレンバにやって来た」というその詩においての意 味が含まれるため一貫性がある。またに、第5 行と第6 行にも結束性がな いが、一貫性がはある文である。結束性がないのは、その文においては要 素の調和がないためである。つまり、「私達」と「黒いリボン」とは関係 の調和がない。しかし、一貫性があるのは「その花輪に付いた黒いリボン はその子供達からである。」という意味の関係があるためである。第7 行 と第8 行は結束性と一貫性がある文である。文のにおいての要素の調和が あるためである。「弔いたい」と「射殺された」という単語は「死によっ て生じた悲しみ」という関係の調和を持っている。その文においての一貫 性は「ある兄の死でその3 人の子供達に悲しみが生じる」という意味の調 和である。 結束性と一貫性がテクスト(言語の構造においての部分と部分の意 味または意味的の単一)を作り出すものである。結束性は体系的に鳴り指 し合わせたり、関わてったりする言語の要素の事態を示す。一方、一貫性 は「意味的のまとまりによりある談話またはテクストの妥当性」であるた め、「ある人の認識に基づくテクストと言外の要素との関係」と理解して も良い。(クスハルタンティ2005:96)。結束性と一貫性は語用論にある 言語学の一つである。語用論は詩に含まれた意味を解釈するために利用で きる。語用論は言外の要素の影響を受けた意味を研究分析する討間である。 リーチ(1983:10)は”Pragmatic is to distinguish the study of the general condition of communicative use of language, and to exclude more specific local condition of language use”と述べた。その陳述により「語用論は慣用句があ る場面においてどのようにして意味を持つかということを理解するために 利用できる」ということが分かる。 2.本論 「お日さん、雨さん」 金子美鈴 ほこりのついたしば草を 雨さんあらってくれました。 あらってぬれたしば草を お日さんほしてくれました。 こうしてわたしが ねころんで 空をみるのに よいように 第1 行の「ほこりのついたしば草を」と第2 行の「雨さんあらって くれました」においては文法的結束があり、それは第1 行と第2 行を接続 する助詞「~を」があるからである。その行にある助詞「~を」は「~目 的」という意味を持つ。その使用によって文と文を結び付け、その二つの 行の意味結びを作きにより、結束性が生じる。その行の結束性は「しば草 についたほこりは雨水が洗った」という意味を述べる。 第2 行の「雨さんあらってくれました」と第3 行の「あらってぬれ たしば草を」の間では反復復唱結束性がある。なぜかというと、「あらっ て」という繰り返られたから。第2 行の「あらって」は第3 行で反復した。 その行の一貫性は「雨がきれいにしたしば草は今濡れている」という意味 を述べる。 第3 行の「あらってぬれたしば草を」と第4 行の「お日さんほして くれました」の間に接続する助詞「~を」を使ったため文法的結束性があ る。行と行の間の助詞の使用が意味の調和を作り、それによりその行に一 貫性が生じる。その行の一貫性は「濡れたしば草は太陽が干してくれた」 という意味を述べる。 第4 行の「お日さんほしてくれました」と第5 行の「こうしてわた しが」の間においては要素の調和がないため、結束性がない。しかし、そ の行において「作家は太陽が輝く役目をえもっている、何もできない自分 と違うと思っている」と述べる一貫性はある。 第5 行の「こうしてわたしが」と第6 行の「ねころんで」(横にな った)、第6 行の「ねころんで」と第7 行の「空を見るのに」、そして第 7 行の「空を見るのに」と第8 行の「よいように」のそれぞれの間におい ては要素の調和がないため結束性がないが、一貫性はある。例えば、第5 行と第6 行の間においては「作家が何もできず、横になるしかができない こと」という意味を持つ。第6 行と第7 行の一貫性は「横になるしかでき ない自分に、できるのは空を見ることだけだ。」という意味を述べる。一 方、第7 行と第8 行の一貫性は「空を見るときに、「自分の具合がよくな るように」という望みがある」ことを述べっている。 3.結論 1.その詩においての結束性の関係は次の通りである。 行 文法的結束 語彙的結束 1と2 無 助詞 2と3 反復復唱 無 3と4 無 助詞 4と5 無 無 5と6 無 無 6と7 無 無 7と8 無 無 2.この詩においては結束性があることにを一貫性を生じる。その一貫性 は読者が作家が言いたい意志や意味を理解するときに役に立つ。 3.この詩の結束と一貫性は結束がないが、一貫性はある。

Item Type: Thesis (Undergraduate)
Subjects: P Language and Literature > PN Literature (General)
Depositing User: Perpustakaan Maranatha
Date Deposited: 17 Oct 2014 10:26
Last Modified: 17 Oct 2014 10:26
URI: http://repository.maranatha.edu/id/eprint/7640

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