Kosasih, Tommy (0942011) (2013) Analisis Jukujikun pada Kanji Bahasa Jepang (Kajian Semantik). Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.
|
Text
0942011_Abstract_TOC.pdf - Accepted Version Download (236Kb) | Preview |
|
Text
0942011_Appendics.pdf - Accepted Version Restricted to Registered users only Download (72Kb) |
||
|
Text
0942011_Chapter 1 .pdf - Accepted Version Download (169Kb) | Preview |
|
Text
0942011_Chapter 2.pdf - Published Version Restricted to Registered users only Download (490Kb) |
||
Text
0942011_Chapter 3.pdf - Accepted Version Restricted to Registered users only Download (383Kb) |
||
|
Text
0942011_Conclusion.pdf - Accepted Version Download (113Kb) | Preview |
|
Text
0942011_Cover.pdf - Accepted Version Restricted to Repository staff only Download (207Kb) |
||
|
Text
0942011_References.pdf - Accepted Version Download (53Kb) | Preview |
Abstract
1.序論 日本の文字にはひらがなとカタカナと漢字が三つあり、漢字は中 国から伝来された。漢字の中には音読みと訓読みがあり、音読みとは、日 本語における漢字の字音による読み方である。また、訓読みとは、日本語 において、漢字を字音ではなく、同じまたは似た意味のすでにある日本語 の固有語で固定的に読む読み方である。漢字は同音異字が多く、区別する ことが困難である。そこで漢字を二字以上集めて一つの意味を表すことが 古くから行われており、これを熟語と言う。 さらに、日本語には特別な熟語があり。この熟語は、この熟語の漢字 の音読みと訓読みで読まない。例えば、‘五月雨「さみだれ」’、または ‘相撲「すもう」’などがある。‘五月雨’と‘相撲’は各々の漢字の音 読みと訓読みで読まないが、特別の読み方がもうあり、こうした特別な読 み方を熟字訓と呼ぶ。佐竹邦子は“熟字訓は漢字二字以上が表す意味を利 用してできた”(佐竹、2005:67)と説明している。 この研究の目的は: 1) 熟字訓の読み方の生成を説明する。 2) 生成された漢字の熟字訓の意味関係を説明する。 2. 本論 ここでは集めたデータを分析し、常用漢字にある熟字訓を使い、 熟字訓の生成を説明する。 1)七夕(たなばた) 七 kun’yomi on’yomi tujuh Nana-tsu shichi (Kano, 1990:22)夕 Kun’yomi On’yomi Malam, senja Yuu Seki (Kano, 1990:89) 七夕(たなばた)は‘七’と‘夕’で生成された熟字訓である。 七夕の漢字は音読みまたは訓読みで読まない。七夕は今では牽牛星と職女 星の再会の日として知られているが、もとは神を迎える行事だった。七月 七日の夜、水上に棚をつくり、聖なる乙女が機織りをして神を迎えた。こ の乙女は、棚機女とか乙棚機と呼ばれ、行事は(棚機)と呼ばれた。それ が七月七日の行事だったところから、(たなばた)に、(七夕)の文字があ てられるようになったのである。 2)明日(あした/あす) 明 Kun’yomi On’yomi Terang Aka-rui, a keru Mei, myou (Kano, 1990:41) (Kano, 1990:4) 明日(あした/あす)は‘明’と‘日’で生成された熟字訓である。 鎌倉末期頃から「何かあった日の翌朝」の意味でも用いられ、平安末期以 降、現在と同じ「明日」の意味をもつようになった。明日は「夜が明け る」などの「明け(あけ)に、奈良時代の東国方言で「時」を意味する 「しだ」で、「あけしだ(明時)」が転じたと考えられる。明日(あす) はあかす「明かす」の略,また「あさ(朝)」の転と考えられる。 明日はみょうにちでも読めるが、みょうにちは熟字訓ではないまた。 みょうにちとあすとあしたは意味が違う。“(あした)は日常普通に使われ る語だが、(あす)はやや改まった語であり、(みょうにち)はさらに改ま った語である。 日 Kun’yomi On’yomi Hari, matahari Hi, bi Nichi, jitsu, ni 3)浴衣(ゆかた) 浴 Kun’yomi On’yomi Mandi A-biru, a-biseru Yoku (Kumon, 1993:424) 衣 Kun’yomi On’yomi Kain, pakaian Koromo I (Kumon, 1993:331) 浴衣(ゆかた)は‘浴’と‘衣’で生成された熟字訓である。浴 衣は「湯帷子(ゆかたびら)」の略である。「湯帷子」は入浴時や入浴後 に着る「帷子」のことで、「帷子」とは夏用の単衣の着物を意味し「かたび ら(片枚)」とも書かれる。江戸時代以降、入浴に関係なく夏に着る単衣 を「ゆかた(浴衣)」と言うようになった
Item Type: | Thesis (Undergraduate) |
---|---|
Subjects: | P Language and Literature > PI Oriental languages and literatures |
Divisions: | Faculty of Letters > 42 Japanese Department |
Depositing User: | Perpustakaan Maranatha |
Date Deposited: | 27 Jan 2015 07:31 |
Last Modified: | 27 Jan 2015 07:31 |
URI: | http://repository.maranatha.edu/id/eprint/9684 |
Actions (login required)
View Item |