Analisis Presuposisi dan Implikatur Dalam Keigo(敬語)(Kajian Pragmatik)

Meliana, Ester ( 0442041 ) (2008) Analisis Presuposisi dan Implikatur Dalam Keigo(敬語)(Kajian Pragmatik). Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.

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Abstract

序論 普通時には同様の面を有しているが、またその言語を使用する国民 を反映する特徴を併せて持っているのである。たとえば、日本には敬語が ある。敬語は聞き手や場面を考慮してなされた言葉遣いで待遇表現という。 敬語は尊敬語、謙譲語 、丁寧語の三種類に分けられている。 尊敬語は話題の人、その自身の行為・性質および外人にたいするも の、その人に対する行為などに関して、話し手の敬意を含ませた表現。 (広辞苑1991:140)例文: 先生は教室にいらっしゃいます。 「いらっしゃる」は尊敬語の類である。普通形は「いる」である。主語を 高めている。次は特別の尊敬語である: 辞書形 読み方 尊敬語 読み方 行く iku いらっしゃる irassharu 来る kuru いらっしゃる irassharu いる iru いらっしゃる irassharu 食べる taberu 召し上がる meshi agaru 飲む nomu 召し上がる meshi agaru 言う iu おっしゃる ossharu 知っている shitte iru ご存知 gozonji 見る miru ご覧になる goran ni naru する suru なさる nasaru くれる kureru くださる kudasaru 謙譲語は話し手(書き手)が、自身および自身の側の物や動作をほ かに対する卑下謙譲を含ませて表現する語。「見る」を「拝見」、「行 く」「参る」、「言う」を「申し上げる」という類。次の言葉は特別の謙 譲語である: 辞書形 読み方 謙譲語 読み方 行く iku 参る mairu 来る kuru 参る mairu いる iru おりる oriru 食べる taberu いただく itadaku 飲む nomu いただく itadaku もらう morau いただく itadaku 見る miru 拝見する haiken suru 知っている shitte iru ぞんじておりる gozonji しらない shiranai ぞんじない zonjinai 言う iu 申す mousu する suru いたす itasu 聞く kiku うかがう ukagau 会う au お目にかかる ome ni kakaru 丁寧語は相手に対する話し手の直接の敬意を表現するものの「ま す」「です」の類。「野村1992:210」 筆者は敬語の用法を語用論の立場から研究分析を試みる。語用論は に場面 · 加わった発話から判断される言外の意味を研究するものである。 但し、言外の意味といっても、それを、話し手の意図であるとするものと 聞き手の解釈であるとするものと両者の相互行為により生するものとする。 次の例文を見みてみよう。 部長: このへやは窓が閉めきられていてね。 部下: すぐに窓を開けます。 その文には部長が部下にまどを開けるように言う。部長がはっきり 言わないが,部下は部長の言う意図がわかる。したがって部下はまどを開 けることになる。以上の理由に基づいて、本論文では敬語の用法には含意 と前提がどのような役割を果たしているか、また敬語の用法を左右する要 素にはどのようなものがあるか分析してみる。 本論 会話には話し手と聞き手その相好理解が必要である。 例文: (33)井上:先生はよくゴルフにいらっしゃると聞きましたが、 斉藤:いや、練習場で打つだけですよ。ところで、村瀬先生、 きのうのテレビをご覧になりましたか。 村瀬:うん、見たよ。すごい試合だったね。天気が悪い大変 だよね。 上の例文には「行く」の尊敬語「いらっしゃるで」と「見る」の 尊敬語「ご覧になるがある。前提としては村瀬先生が斉藤さんの話して いるのテレビの番組がゴルフの番組である。ことを理解していることで ある。含意としては村瀬先生も斉藤さんもゴルフのことが好きことであ る。 (3)ひかり :電池切れになっております。また動かすには新し い 電池を入れます。 上の例文に「なっている」がある。これは謙譲語の類である。含意 として、光は体くたびれたことを電池切られたと例えと言う。新しい電池 を入れるというのは何か食べることを意味するのである。含意としては電 池切れになっておりますの中の電池は本物の電池ではなく食べもののこと である。 (9)母親 :ちょっとおつかいに行ってきてくれない? 太郎 :今、外は大雪ですよ。 上の例文は「だ」の丁寧形の「です」を使っている。 「外は大ゆ き」だと太郎が言った時はそれには「行きたくない」という含意がある。 「外は大雪」だというのは前提で、そのことから母親は太郎が行きたくな いということをわかるのである。 結論 上記で行った分析により、会話においては、話しての言おうとする 意図を理解するには聞き手の理解が必要である。その椅図を理解するには、 場目の予備含意を算出前提を見なければならない。 日本語はその社会の構造と深くの関わる言語である。語の選択は会 話の場面、話し手が誰であるか、聞き手が誰であるかによって左右される。 その社会構造のため敬語というものが生まれてきたのである。 敬語の用法は社会的地位、命令、遠近関係によって左右される。ま た内と外の概念も大きく影響するのである。

Item Type: Thesis (Undergraduate)
Subjects: P Language and Literature > PN Literature (General)
Depositing User: Perpustakaan Maranatha
Date Deposited: 13 Oct 2014 10:37
Last Modified: 13 Oct 2014 10:37
URI: http://repository.maranatha.edu/id/eprint/7478

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