Analisis Pronomina Refleksif 'Jibun'(自分) Pada Kalimat Majemuk Bahasa Jepang (Kajian Sintaksis dan Semantik)

Sarean, Anggarini Restiani ( 0742005 ) (2013) Analisis Pronomina Refleksif 'Jibun'(自分) Pada Kalimat Majemuk Bahasa Jepang (Kajian Sintaksis dan Semantik). Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.

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Abstract

I. 序論 日本における再帰代名詞は、「自分」の言葉で示される。英語 と日本語の再帰代名詞の間にいくつか非常に明確な違いがある。このうち、 英語の再帰代名詞で主語の種類によって分けられている。日本の再帰代名 詞は分割されていない。日本語では全ての主語の再帰代名詞に「自分」を 使用する。英語の再帰代名詞の先行詞は、客語を参照することができるの が、日本語では、再帰代名詞の先行詞は文の先行詞の主語でなければなら ない。 例: A. John がBill に自分のことを話した。 B. John がBill に自分の写真を見せた。 上記番目の文では、「自分」の先行詞は文A とB の主語として John である。久野は以下のように説明している: “In English, the antecedent of a reflexive pronoun can be either the subject of the sentence or some other element (for example, the object of the sentence). In Japanese, on the other hand, in the ordinary style, the antecedent of a reflexive pronoun must be the subject of the sentence.”(1990:292) 英語では、再帰代名詞の先行詞は文や他のいくつかの要素(例 えば:文の客語)の主語となり得る。日本語では、通常の形式、 再帰代名詞の先行詞は文の主語である必要がある。 Bill は二つの文に主語ではなかったので、このように、Bill は A,B の文に「自分」の先行詞にすることはできない。さらに、「自分」は 願望を持っていない先行詞を持つことはできない。言い換えれば、「自分」 の先行詞は、主語が生物で生命をもっており、また無生物を使用すること はできない。これは、次のように久野によって開示された: “The antecedent of zibun ‘self’ in Japanese must be something that is animate and has will power”(1990:291) 日本語では、「自分」の先行詞は、何か命を持ち、意欲を持ってい る。 再帰代名詞の「自分」は自分の先行詞と同じ句にできなくても 良い。辻村は次のように説明した。 “In Japanese zibun and its antecedent need not be within the same clause”(1996:218) 日本語では、「自分」と自分の先行詞は同じ句であってはならない。 辻村いうとおりに、「自分」は常に一番近い主語を参照してい ない、換言すれば「自分」の言葉の先行詞は、常に同じ句の対象ではない。 したがって、復類の主語を持っている複文は「自分」は自分の先行詞が曖 昧になりかねない。 II. 本論 本研究では五十データを小説から抽出した。分析のデータは再 帰代名詞の「自分」が含まれていた複文の形で、曖昧文を示した。 この文の下にあるデータでは再帰代名詞の「自分」は、常に同 じ句に、または同じ文に先行詞が存在する必要がないことを証明している。 1. (8)真奈枝のとこの郵便箱には、妙な葉書が入っているはずだ。 自分から自分へ宛てた葉書。(SUSS19986:100) データ(8)は、二つの文章があり、二番目の文に「自分」が ある。最初の文では再帰代名詞の「自分」がない。しかし、再帰代名詞の 「自分」は二番目の文に含まれている。その文に、「自分」が二つある。 最初の「自分」に助詞「から」が続きその後は副詞である。そして、最後 の「自分」は宛先副詞として機能する。 主語 Ø 副詞 自分から 副詞 自分へ 動詞 宛てた 動詞 葉書 主語 Ø 文 IC の分析を用いて説明すれば、二つの再帰代名詞の「自分」は、 主語は消えているのと同じ先行詞を指す。二つの再帰代名詞の「自分」が あるため消えた主語と同じレベルにある。 データ(8)の意味は、文章の再帰代名詞の「自分」の意味は 先行詞に従って解釈することができる。「自分」の先行詞の中に消えた主 語は再帰代名詞である文章や談語の文脈で見ることができる。最初の文の 消えた主語は、真奈枝に含まれる主語を指す。だから、再帰代名詞の「自 分」の意味は、最初の文真奈枝の主語である。 III. 結論 それを分析したデータを収集した結果、日本語文における再帰 代名詞の「自分」の概念は、それが参照する先行詞として再帰代名詞の 「自分」の関数であると結論付けることができる。日本語の文章では、 「自分」は性別に依存せず一般的に使用することができる。したがって、 曖昧な言葉が複数の主語を持っている日本語の文章がある。それが参照し ている自分の先行詞の意味を持つ言葉と常に同じである。

Item Type: Thesis (Undergraduate)
Subjects: P Language and Literature > PN Literature (General)
Depositing User: Perpustakaan Maranatha
Date Deposited: 03 Oct 2014 09:43
Last Modified: 03 Oct 2014 09:43
URI: http://repository.maranatha.edu/id/eprint/7109

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