Analisis Penggunaan Majas Personifikasi Dalam Lagu Jepang (Kajian Pragmatik)

Elisa, ( 0542029 ) (2009) Analisis Penggunaan Majas Personifikasi Dalam Lagu Jepang (Kajian Pragmatik). Other thesis, Universitas Kristen Maranatha.

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Abstract

序論 歌はミュージシャンの信念、考え、望みを他の人に伝えるために使 うのである。ミュージシャンはイマジネーションと意味をより深くより広 くなるように歌の中に活喩を使うのである。 中村によると、活喩は次ようである: 活喩はだいたい英語の personification にあたり「擬人法」とも 呼ばれるように、無生物を生命のあるものとして扱う喩法で、 特に、人間以外のものを人格化し、人間になぞらえて表現す る場あいが多い。( Nakamura「Hiyu Hyogen Jiten」1980:42) 歌の意味はそれらに含まれた語と文を見るだけでは分からないので 歌の全文作られた背景を見なければならないのである。そのため、本研究 では語用論アプローチを使うことにする。語用論はテクストの全体を研究 している、その中で話し手の意図と聞き手の解釈もある。 小泉によると、語用論は次のようである: 語用論は語の用法を調査した、検討したりする部門ではない。 言語伝達において、発話はある場面においてなされる。発話 として文はそれが用いられる環境の中で初めて適切な意味を もつことになる。(Koizumi「Gengogaku Nyumon」1993:281 ) ひとつの歌からいくつか前提と含意を引き出すことができる。前提 と含意を引き出すことによって聞き手と作曲者の歌の内容に対する見方が 同じようになる。 寺村によると、前提は次のようである: 「前提」という概念の明確な定義が必要だということから論 を始めていることからも分かるように、この用語が人によっ て違った意味で使われやすいこと、そしてそれにもかかわら ず、ある種の意味を特徴づけるのに便利で魅力的あることを 示唆してる。(Teramura「Genggogaku Nihonggo Kyoikuhen」 1993:49-50) 小泉によると、含意は次のようである: 「含意」を一般的な談話成立の条件と、特定の話や文法形式 が本来的に持っている表現機能とに分けて意味論上の定式と すること提案している。(Koizumi Tamotsu 「Gengogaku Nyumon」1993:322) 本論 始めにラルクアンシャルの「Blurry Eyes」という歌の一行を取り出 して分析してみる。 A: めぐり来る時に約束を奪われそう 上の「時」は抽象名詞であるが、それが人間のように振る舞うこと ができるように描かれているのである。 上記の文の前提は「約束がうばれそう」というもので、含意は作者 の彼女が一緒にいた時の約束を忘れることである。 「Blurry Eyes」の全体の意味は作者がまた彼女と一緒になりたいが、 それができないということである。 次の例はラルクアンシェルの「Winter Fall」 の歌からとってみる。 B: 駆け出す世界に心奪われて ( WF, bait 4) 世界は人間以外のもので人間になぞらえて駆け出すことができるよ うに描かれている。 上記の歌に含まれた、前提は作者が、「心を奪われて」という節に も強調されるように、恋に堕ちいているのである。含意というは、時は経 っても、彼女に対する心気持ちは永遠に変わらないということである。 結論 日本の歌の中には、活喩が多く用いられている。その目的は歌詞をより 美しく、より深い意味をするためである。活喩は表面的な意味も表すほか、 その中に含まれた意味をも表すのである。活喩を用いることで、日本の歌 のイマジネーションがより深く広くなるのである。

Item Type: Thesis (Other)
Subjects: P Language and Literature > PN Literature (General)
Depositing User: Perpustakaan Maranatha
Date Deposited: 09 Oct 2014 09:59
Last Modified: 09 Oct 2014 09:59
URI: http://repository.maranatha.edu/id/eprint/7371

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