Yanty, Sri ( 9942039 ) (2006) Nilai Moral Pada Tokoh Utama Yang Tercermin Dalam Cerpen 'Saigo No Ikku' Karya Mori Oogai. Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.
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Abstract
森鴎外作「 最後の一句」 における主人公の道徳的価値の分析 序論 「最後の一句」は森鴎外が53歳のときに書いた小説である。この小説を読んでいると、これには日本的な道徳概念と言える思いやり、人情、甘え、義理などが多く含まれているような気がする。 筆者は、この小説の主人公の道徳価値を道徳アプローチをもって分析しようと思う。道徳アプローチを使用するのは、当アプローチは社会生活における人間の善悪の行動を文学作品と関連づけるところがあるからである。 本論 日本の社会軌範、価値観には義理、人情、甘え、思うやりなどと言われるものがあるが本論文では、思いやりおよび人情に焦点を絞って分析を進めてみることにする。 まず、思いやりというのはどのようなことであるかを見てみよう。 思いやりというのは真心に基づき、見返りを望まず他人に何かをしてあげることである。 この小説では、お奉行様・裁判にかけられた父親を救おうとする イチとマツの行動にこの思いやりが見られる。 父親は死刑の判決をくだされたが二人は父親を助けようとして嘆願書 に出したのである。これは、次の文で見ることがである。 いちは起きて、手習いの清書をする半紙に、平仮名で願書を書いた。父の命を助けて、その代わりに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにして戴きたい、実子でない長太郎だけは許し下さるようにというだけのことではあるが、。。。。。 ( 最後の一句 : 177 ) この子供たちの取った思いやりの行動の他に、実子でない長太郎の行動に同情というものも見られる。これは、次の文で見られる。 長太郎の願書には、自分も姉や兄弟と一緒に、父の身代わりになって死にたいと、前の願書と同じ手跡で書いてあった。 ( 最後の一句 : 187 ) 次に人情について述べてみる。 人情というのは、愛情、同情、悲哀、善意などに基づく、他人に対する人間の感情である。この人情は、子供たちが親密な人たちと甘えた、ふざけたりするときに反映されている。次の文がそれを見せている。 この白髪頭の媼のことを桂屋では平野町のおばあ様といっている。 おばあ様とは、桂屋にいる五人の子供がいつもよい物をお土産に持って来てくれる祖母に名つけたなで、これを主人も呼び、女房も呼ぶようになったのである。おばあ様を慕って、おばあ様にあまえ、おばあ様にねだる孫が、桂屋に五人いる。 ( 最後の一句 : 169-170 ) 同情も人情の一種である。実子でない長太郎が死刑の判決をくだされた養父の危機に瀕した情況に同情するのは人情である。その長太郎の同情・人情の現われは、裁判所に出す願書において見られる。 また、この人情は、夜回りの取った行動でも見られる。彼は、子供たちに裁判官・お奉行様官のところへの道を子供たちに教えてくれたのである。悲しみに打ち拉がれた子供たちを同情して見るのも人情である。次の文は、それを見せている。 提灯を持って、拍子木を敲いて来る夜廻りの爺いさんに、お奉行様のところへはどう往ったら往かれようと、いちがたずねた。爺いさんは親切な、物分りのよい人で、。。。 ( 最後の一句 : 178-179 ) 人情は、親子の関係に見られるような、人に対する自然の 感情である。 本論には書いていないが、思いやりと人情違いとしては、思いやりは人情を行動に移したもので、人情は単なる人間が感じる愛情、同情、悲哀、善意である。 結論 「最後の一句」を道徳アプローチをもって分析してみた結果 、次の結論を引 き出すことができる。 1. 父親を助けようとする行動は純 心に基づき、見返りを望まない、行動であり、子供たち ( 長太郎も含めて)の父親に対する思いやりである。 2. また、子供たちの父親に対する思い、夜回りの子供たちに対して取った行動、また、子供たちのおばあ様に対してあまえたり、ねだったりする行動は人情である。
Item Type: | Thesis (Undergraduate) |
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Subjects: | P Language and Literature > PN Literature (General) |
Depositing User: | Perpustakaan Maranatha |
Date Deposited: | 25 Sep 2014 10:42 |
Last Modified: | 25 Sep 2014 10:42 |
URI: | http://repository.maranatha.edu/id/eprint/6943 |
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