Analisis Tokoh Utama Wanita Dalam 6 Karya Sastrawan Wanita Jepang Refleksi Kehidupan Masyarakat Jepang Dari Sudut Pandang Wanita (Melalui Pendekatan Mimesis)

Yanatra, Sundy ( 9842010 ) (2006) Analisis Tokoh Utama Wanita Dalam 6 Karya Sastrawan Wanita Jepang Refleksi Kehidupan Masyarakat Jepang Dari Sudut Pandang Wanita (Melalui Pendekatan Mimesis). Undergraduate thesis, Universitas Kristen Maranatha.

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Abstract

日本女性作家のの 六作品六作品 における女性主人公の「「「「姿」」」」のの 分析分析 ―――― 女性女性のののの視点視点から見見見見たたたた日本社会日本社会のののの現状現状 ―――― ((((ミメチックアプローチミメチックアプローチをををを通通通通してして)))) 序論 明治時代、1880年ごろから女性たちが出版するための作品を書き始めた。彼女たちは“閨秀作家”と呼ばれた。“閨”は中国から来た言葉で、 女性の寝室という意味である。“秀”の意味は優れたことや優れた人を表す。一言で言えば、“閨秀作家”とは作品を書いた優れた女性たちのことを指す。しかし、“閨秀 作家”という言葉には差別的な意味が含まれていて、 当時の家父長制社会の中で生まれた言葉だと言える。 その後、“女流作家”という表現が徐々に普及した。この表現は女性作家を 当時の男性作家と区別するためだった。“女流”は新しいもので あって、“主流”とは違うという意味も含まれている。その後長い間、 “女流作家”という呼び方が一般的に使われていたが、1970年代以降フェミニズムが盛んになるのと時期を同じくして、“女性作家”という表現が用いられるようになり、現在に至っている。 日本女性文学と言っても、19世紀の明治時代から21世紀の現在までの長い期間を通じて、時代の変化に従って作品の中で扱われたテーマや背景は大きく変わっている。戦前の日本社会には江戸時代の考え方や習慣 が多く残っている明治時代の考え方や習慣が続いていた。封建的な社会は儒教の考えを中心にして、法律や様々な社会のしきたりが作られた。そのため、女性の教育は良妻賢母主義の教育であり、教育は家父長制の社会を支えるためであった。1945年、第二次世界大戦が終わって、新しい日本の法律や考え方ができた。女性の社会的地位や生活もそれまでとは大いに変わった。アメリカの法律を参考にして作られた法律は男女平等社会を実現するためだった。また、女性も参政権を持ち、自分の考えや希望を表せるようになった。その結果、文学の社会にも大きな変化があって、女性が書いた作品の課題も広がった。時代の流れとともに、テーマや作品の背景が変わっていく。文学作品には時代の社会、経済、政治などの状況が作家の考え方とともに表れている。 文学作品の中には社会状況や作家の考えだけでなく、人間の姿も現れている。その中で女性の姿もよく描かれている。明治時代から現代に至るまで女性に関する社会問題が多くあり、その形も少しずつ変化してきている。そのため、文学作品に登場する女性像も様々である。様々な作品でそれぞれの女性像が描かれている。 この論文では明治時代の女性を扱った清水紫琴の「こわれ指輪」、 戦前の女性の状況を描いた網野菊の「憑きもの」、戦後の現代的な女性像を描きながら女性や夫婦の問題を扱った大庭みな子の「山姥の微笑」、 佐多稲子の「夫婦」、向田邦子の「かわうそ」、干刈あがたの「プラネタリウム」の6作品を取り上げて考察し、女性の視点から見た日本社会についても考えていきたい。 本論 清水紫琴の「こわれ指輪」は明治時代の社会を背景にして書かれた作品である。作品には、明治の女性の姿や心が描かれている。当時“女大学”1や“三従”2のような儒教の考えに縛られ、女性の立場は非常に弱かった。それに対して、「こわれ指輪」の主人公は様々な苦しみを乗り越えた後、強くなった。また、主人公は自分の気持ちを表せるようになった。「こわれ指輪」には独立して、自分の運命を決められる女性の姿が描かれている。主人公は恋愛結婚のイデオロギーを持っている女性だと考えられる。恋愛結婚の結果として実現された家庭も、決して理想的な家庭であるとは限らない。しかし、恋愛結婚は女性の社会的解放を意味していると考えられる。主人公の見たことや体験した辛い結婚生活を通して、作者は当時の愛のない、親の決めた結婚の悲劇を訴えたかったのだと考えられる。また、儒教のような男性中心の教えに反対する作者の考えも感じられる。作者は「こわれ指輪」という作品で、当時の女性を啓蒙したかったのである。 1 “女大学”は女子の修身・斉家の心得を仮名分で記した書。封建道徳で一貫し、江戸時代に女子一般の修身書として広く用いられた。享保(1716-1736)年間刊。貝原益軒の著と云えるが、じつは益軒の「和俗童子訓」の一部を書肆が益軒没後に改竄・刊行したものである。 2 “三従”は〔儀礼(喪服伝)〕女性が従うべき三つの道。すなわち家にあっては父に従い、 嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うことである。 網野菊の「憑きもの」は第二次世界大戦後に書かれた作品である。 しかし、物語は日本の戦前の社会が舞台となっている。全体的に「憑きもの」は戦前の不平等な社会における、女性の生活の暗い面を抉り出した話である。特に、“姦通罪”に対する主人公の気持ちや考えがはっきり描かれている。作品には、不平等な法律や社会のしきたりに縛られた妻としての女性たちが描かれている。主人公のヒロ、ヒロの実母、ヒロの継母には、戦前の社会の暗いところにいる女性の姿が現れている。戦前の日本社会はまだ女性が解放されていなかった社会で、全く男性中心の社会だった。 教育における 男女差別もその一例である。また、法律も男性のために作られたものだった。一方、戦後に占領軍司命官マッカーサーは五大改革を要求し、日本の社会は大きく変化した。「憑きもの」は戦後から見た戦前の日本社会の話である。そして、当時の状況に対する主人公の気持ちや考えも話の中に描かれている。主人公は夫に離婚された戦前の男性中心 社会の犠牲者である。この作品を通して、作者は、女性にとって、明治・大正・昭和初期の社会の暗い面を、女性の視点から描いたのである。 佐多稲子の「夫婦」には再婚した妻としての女性が描かれている。主人公の清子は前のアル中の夫と別れて、栄次郎という男と再婚した。清子は以前の夫との苦い体験があるので、再婚した後も時には不安になっている。「夫婦」には夫と妻のいい関係を保っている夫婦が描かれている。同時に、以前の失敗した結婚の心的外傷を持つ妻としての女性の姿も現れている。「夫婦」には幸福で、相互理解関係を持っている夫婦が描かれている。更に、清子には現代の“良妻”のイメージが重なっているのではないかと思われる。 向田邦子の「かわうそ」は中年夫婦の関係や生活を背景にして、夫と妻がそれぞれ違う考えを持っている夫婦の像が描かれている。主人公の厚子は夫の宅次と考えが同じではなく、物事を決めるのに自分の気持ちや考えしか大切にしない。厚子と宅次の夫婦には正反対の性格や違う夢を持っている夫婦のイメージが描かれている。一言で言えば、「かわうそ」には外から見えない夫婦間にある恐ろしい面が描かれている。 大庭みな子の「山姥の微笑」にはアレゴリーとしての日常的な妻や母親である中年女性のイメージが描かれている。「山姥の微笑」は女性の敏感な感覚に注目する。この女性主人公は他人、特に男性の心と考えが分かっているので、‘山姥’に例えられている。誰にも‘山姥’について本当のことははっきり分からないが、昔話を読むと、‘山姥’というのは悪魔の女性として描かれている。自分の心や考えが他人に読まれるのが恐ろしいので、心を読める女性を‘山姥’と呼んでいるのだろう。「山姥の微笑」には、‘山姥’が主人公の姿をとって現れる。主人公は他人の心が分かっていて、他人の気持ちが感じられる女性である。同時に、‘山姥’に例えられている主人公は、普通の妻としての女性であり、長所と短所を持っている。他人の心を知っていて、主人公は他人の気持ちを傷つけたくない ので、いつも自分で気を付ける。結婚した後、感覚が鋭い主人公は夫の気持ちをずっと大切にした。妻として、主人公は夫を喜ばせ、頼まれたことをしっかり実行する。つまり、主人公は男性の願望や夢を満たせる女性の姿だと思われる。つまり、山姥に例えられている女性は単に感覚が鋭い 女性のことなのである。「山姥の微笑」には、感覚が鋭い普通の女性の 一生が描かれているのである。妻や母親として、主人公は夫や子供の気持ちを大切にして、最後まで家族のことを思っている。主人公は男性との異なる考えや気持ちを持っている女性であり、自分の気持ちを抑えて、他の人の気持ちを大切にした女性の姿を表している。 干刈あがたの「プラネタリウム」は80年代の日本を背景に、モダンな妻としての女性の姿を描いている。主人公は離婚していないが、夫との関係はよくない。それに対して、二人の男の子の母親である主人公は、子供と非常にいい 関係を持ち、暖かい母親として描かれている。「プラネタリウム」には夫婦関係に問題がある妻が描かれているが、暖かい母親としてモダンな女性の姿も描かれている。「プラネタリウム」の主人公を通して、サラリーマンの妻としての女性の姿が生き生きと描かれている。主人公は夫がそばにいない心理的に抑圧された女性の姿として見られる。また、不安で、夫を恋しがる妻の心や気持ちも作品に美しく描かれている。主人公には、子供のために強くなる女性の姿も表れている。夫婦関係に問題があっても、いい母子関係が主人公の力となっている。結局、主人公は夫に頼らずに、自立した女性になっていく。 結論 以上、見てきたように、それぞれの作品には様々な女性の姿が描かれている。そして、女主人公を通して作家の考えが表されている。清水紫琴の「こわれ指輪」には独立して自分の運命を決められる女性の姿が描かれている。網野菊の「憑きもの」では戦前の男性中心の法律や社会の犠牲者としての女性の姿が描かれている。また、“姦通罪”に対する主人公の気持ちは作家の考えに違いない。干刈あがたの「プラネタリウム」には夫婦の問題を かかえた “都会主婦”のイメージが描かれている。主人公は夫との関係が悪くなった不安な妻としての女性の姿である。しかし、作家の女性解放という考えは自立した主人公に反映されている。佐多稲子の「夫婦」には失敗した結婚の悪夢に取り付かれ再婚した女性の姿が描かれている。主人公と夫の互いに愛し合う感情が主人公の不安をなくして、互いに信頼関係を築いていく。逆に、向田邦子の「かわうそ」には、正反対の性格や夢を持っている夫婦のイメージが描かれている。厚子と宅次の夫婦の間には大きな距離があって、暗くて、冷たい夫婦の姿が感じられる。 「かわうそ」は外から見えない夫婦間にある問題を浮き彫りにしている。大庭みな子の「山姥の微笑」には感覚が鋭い妻や母親としての女性の姿がアレゴリーとして描かれている。 明治時代から現代までのそれぞれの作品の時代背景や社会の状況は異なっている。しかし、いずれの作品でも、問題をかかえた女性が苦しみ悩みながら自立し、困難に立ち向かう姿に込められた女性作家のより良い 社会への希望を感じ取ることができる。ちなみに、女性作家の作品を楽しみながら、日本女性の視点から見た日本社会は現在の私たちにも理解できると思われる。

Item Type: Thesis (Undergraduate)
Subjects: P Language and Literature > PN Literature (General)
Depositing User: Perpustakaan Maranatha
Date Deposited: 25 Sep 2014 10:18
Last Modified: 25 Sep 2014 10:18
URI: http://repository.maranatha.edu/id/eprint/6936

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